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前の記事の続きです。この話は、自分が自発的に自分を癒やそうとか、どうにかしたいと考えていないという場合の状態の方です。10年以上前からの知り合いの方です。私の仕事のことを知ってはいません、内容を理解してはいないだろうと思います。カウンセリング的なことをしているという感じかなと思います。数年間会うことはなかったけれど今年しばらくぶりに会い。
例えば現段階では、ご本人から私はどんな「助け」も求められていません。ただ現状の自分を見て何か言いたいことがあなたの方にあるのならぜひどうぞ、という姿勢なのですね。それは例えば私の方に欲求があることを期待している、ということにもなります。おそらく常習です。なので実際には、私は聴く、ということに重点を置くことになります。前にいる間は、まるで怒っているかのような顔だったり目の動きが何かを覗いているような感じになったりします。
実は困っているのに、現在のままでは不足ばかりでのどが渇いていて、満足する日々では無いのにも関わらず、ただ何かを待ち続けているという行動をとり続けているという前提での話なので、皆さんに当てはまることもなかなかないかもしれません。部分的には重なるというところを発見したりすることもあるかもしれません。
新しい対応が自分の身体から表現されるとき、それが過去の自分を内包することのできる自分と出会っているとき、ということでもあるでしょう。思い悩み、考え続けて、何かを積み重ねたことの先に、ある時スッと考えなくても身体が動いて新しい思わぬ言葉や行動が自分から出ちゃってるよ、ということが起きる。それはどなたにも起きる、起こせることなのだなとあらためて思います。ダメな自分に同調してただ落ち込むのではなくて、自分が、この自分のことをどう考えるのか、どうするのか、ということがとても重要なのですね。自分、なのです。凄いことなんだなぁ、これが。自分、なのですよ、すべてが。
誰かに何とかこっちを向いて欲しいという飢餓状態の間は、むしろ欲しいものはやってこないでしょう。自分が自分の方を向き始めた時、外からもやってくるものがある。起きる、のでしょう。


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2018.11.19 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲

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