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どう思えるのかってことは、その先の鍵を握っているということなのだなと。思い至ると至らないでは、体験の意味が違ってしまう。
起きていることをどう思うか…、今はこう思えるけれど…、それも縛られた固定観念の中に居てのことなのだから、ここから離れたなら違うことを思い感じるということなわけで。自分の居る場所(世界)によって、与える意味受け取る意味は変わってしまう。見ているものが違うということ。ならば我が身から出すものも変わるだろう。それらをさらに見て捉える位置に居るのなら、動きや停止や移動や前と後にも詳しくなるのだろう。などとさらに思いを馳せる。
自分が体験している現実は、本当にはそう感じている以上のことが何層にも起きている、横たわっている、ということを知っている位置に行くことが、可能性としてあるのだと。望むか望まないか、次第だが。それはあまりにも目の前のものが欲しいとか、手に入らない日常に執着しているとか、そういう場合にはまるで別世界の話しで、渡りのつかないものなのだということも、己と環境に起きることによって思い知らされていく。

最近の何人かの話から。良いとか悪いじゃなく、それは自分に還っていくお話しだし、出来るとか出来ないの話しではないから。求め行くかどうかで、それは自由だし、優劣と関係ないでしょう。焦っているのなら、おそらくは日常生活に理由がある。地上で果たされていないものがあって、それが引き止めているっていうことだからこそ、それ、に正面から向かっていくタイミングだと教えてくれているのかもしれない。ですね。

2018.10.07 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲

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