後ろにまわしている自分自身のもうひとつの感情が何かを実際にこの現実の中でやらかしてくれた時に、今の自分の側の「私」にそんなことを思ったとか意思したという記憶など無い、思い出せないっていうことは普通です。大きく割れているほど大きく動き出すものがあるということになるでしょう。同席していた、現場を見ていた目撃者がいた時に発見される、報告を受けるということになる場合はあります。例えば、うっかり他者にぶつかってその人が持っていたソフトクリームを落としそうになってアブナイってなった時に、口では慌ててごめんなさいって言っていたのに「顔が笑ってたよ、なんで?」って一緒に居た人に言われて、全くそんな記憶が無いのに…とか、っていう話しはよくある話のひとつです。
私たちの言動って全部なんて覚えていないんです。全部が意識的に出せているもの、でもないんです。本当に考えていることが感じていることがいつかどこかで知らないままに大なり小なりあふれ出ている…ということがあるのは、珍しいことではありません。
日常、考えてもいないところに自分の意識というものは存在しているんだなってこととか、ほんの少し考えるきっかけを持ち始めようとすることから始まっていくこともあります。自分という存在に自分が詳しくなっていく過程。

2018.06.17 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲

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