自分という存在について興味を持って調べていくという視点や姿勢があるのと無いのとでは、結果的にずいぶんと違った人生を体験することになるのだなと思います。自分という存在を扱おうとする位置を作っていくことに意味があると思えていない状態のままだと、起きる出来事に翻弄されて、ただそのことによって右往左往し、喜怒哀楽の感情そのものになって自らの存在を忘れてしまい、それがどこまでも続いていくという…繰り返しが想像できます。
どこかで、何らかの機会に流されるように生きることを踏みとどまって、自分という存在のことをもっともっと知っていいのだという世界へ一歩踏み出すことが起こせたなら、まるで違う人生へのそれは入り口になるでしょう。
いつかは時間軸を外れて、もう忘れてしまっている様々なものたちにつないでいける、そんな可能性を感じられる、考えもしなかった思いつきもしなかったことが近くに感じられる、そんなことが自分に起きるようになります。やはり日常の瞑想が役に立つでしょう。

2018.04.10 Tue l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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