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問う、ということが日常に存在している人もいれば、そんなこと考えもしない、という人もいる。魂のあるいは今生のそれぞれの予定があるだろうから、ということで、相手の中に見るよりよくできる可能性のある気になったものがあったとしても、それを促すことにつながる言動を起こすなど、頼まれてもいない場合には相手に介入しすぎないことが肝心。そんな時、相手に関わろうとする際に気をつける必要のある点は、何か正しいこと、や、何か素晴らしいこと、を、その相手に押しつけようとしてはいないか…ということ。相手にアドバイスだという姿勢で出会いつつ、本当は、その相手に自分の側に来てほしい、特別に仲良くなりたいなんていう意図やネライが隠れてい時もある。わからせたい、という場合もある。それは支配的で被支配的なものがたり。
自分の向かう目的意識が生き生きとはっきりしている場合には、旅の途中で通りがかりの茶屋で休憩したとて、遊びに行ったとして、それを責められたりした際も、本来の道を外すことは無いだろうなと。紙に書いただけの生きた目的になっていない場合には、目標に向かうぞ!と口にしながらも、休憩する以前にすでに道は失われているかもしれない。

2018.01.13 Sat l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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