何を基準に、何を常識として、どれほどの大地で、今の自分が今の現実を生きているのか、それを見つめて明らかにしようとする姿勢で自らのことを扱うということは、見せられ続けていた夢から覚めるっていうことでもあるのでしょう。
遥かな物語に繋いでいくひとつひとつのことは、自分の生命の持ち分をハッキリさせていくことだろうし、知ってしまったそれらを生きるってこと。
例えば正解というものを外に求めた時点で、共有できる何かを欲しがっているということで、あるいは許可された存在でありたいという欲求の場合もあるということで、それは大きな存在の枠の中にいる小さき存在ということを望んでいるという無自覚な願望実現への道なのかもしれず。私という存在はいったい何を信じ込み、何を頑なに抱え込んでいるのか、明らかにし続けていく日常的なワークは重要だなとあらためて思います。
眠り続けるか、起きるか、さらにその先の目覚めへと歩き続けていけるか、ということについて考えながら、例えば、今日もまたとんでも具材のチャレンジ味噌汁の一杯を頂くということとが一緒にあるのは個人的に楽しいです。

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2017.09.04 Mon l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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