様々なカタチの表現を私たちは使いますが、そこには「様々な感情」が存在しています。自覚しているもののレベルもありますが、自分で自覚出来ていないレベルの感情も存在しています。なので抱えている感情に無自覚なまま発している言動というものが私たちにはあるのですよね。傍から見た時には案外とそれはわかりやすかったりもします。「あーひがんでるなぁ、今」とか「ひくつだ、それ」とか「傷付いてんのね実は」などなど、周囲に先に発見されてしまっている感情というものがあるわけです。
私たちひとりひとりには溢れ出る感情が常に存在しています。それは過去の産物ではなく、今ここにあって今まさに息をして生きている生々しい存在です。私たちはうまく出会うことが出来ずにその感情に瞬時に呑みこまれることになったり、力技で冷まして頭でコントロールして抑え込んでしまったり、いろいろなことを起こしています。他者から発見されるものだけではなく自分自身にも心当たりがあるという範囲もあるはずで、まずはそこから、手を付けていくといいでしょう。
自分の何かが間違っているということなのか、と思う場合があるかもしれませんが、それは違います。それらも何らかの事情があって自分が必死で生きている証です。そこには何らかの理由があるはずなのです。ならば、無自覚なまま暴走する自分を無視し続ける日常や人生ではなく、自分をひとつずつ見つけていく歩き方を練習していけば、何かは少しずつ変わっていくでしょう。取り組むためのあり方はたくさんあります。瞑想やヒプノで過去に向かい、原因にたどり着くこともあります。
そんなことをして何が変わっていくのか?、どのような速度で?、いつどんな結果が?と頭の中をめぐるものがあるかもしれませんが、これは実践あるのみなのです。自分に手を差し伸べて自分に悪いことが起こるでしょうか? 私たちは何を怖れているのでしょう? 少しずつ実際歩きだす中で確かめていけばいいのです。怖がらずに受け取りましょう、自らが因となって起こしたことの反応を。

2016.10.28 Fri l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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