すでにそこにあるであろうまだ見えていない、感知していない「何か」を見ようとする意思を育てつつ練習を重ねていくと少しずつ変わっていくと思います。少しずつ見えてくるようになるでしょう…というのではなく、変わっていくのは取り組む自分の意識、です。
私たちってあまりにも見よう見ようとすると、一点集中し過ぎたり、何かの練習法をただただ機械的に重ねたりすることがあります。けれど、「見る」とはどういうことか? この定義自体がも通常の日常意識で見ていることとはまるで違ってくるので、日常や社会を見ているこの眼で見えるようになりたいと思ってもそれは可能ではありません。私たちの肉眼で感知できる範囲以外を見ようとしているのだという自覚があるのとないのとでは大きく違うと思います。
勉強してゆく中で出会うたくさんある実際の事実を捻じ曲げることなくひとつずつ受け入れてゆくということは、生きていくことにおいてとても現実的なことなのだと思います。今の私たちの場所からすると、形ある世界もあるところから見れば形無き世界であり、形無き世界もあるところから見れば形ある世界なのでしょう。

2016.08.29 Mon l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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