それはチャンスです。傷付いていた自分に気が付くことができる瞬間を目の当たりにする時、そのから逃げないで立ち止まってみましょう。誰も責めてなんていないから、立ち止まって深呼吸をして、自分を感じて、そして起きていることをよく観察しましょう。過去の何らかの出来事によって私たちは傷付き、よって正面からとあるそれを体験することを避けるようになったかもしれないのです。変化させてしまい別の表現に置き換えて外に表しているのかもしれないのです。
いつだって立ち止まるのは自分の意思。誰かに言われてというきっかけはあるかもしれないけれど、それをまたわざわざ自分の正面において見つめ直すということができるのは、自分に向かう自分の意思だけです。その自分の意思という存在はかけがえないですね。
まだ逃げていたくて正面に置かないよ、という場合もあるでしょう。大切なポイントは責めないことです。そんな自分であったとして、自覚することが重要なのであって、正しくある必要なんて無いのです。正しさなんていうものは危ういものです。自分が意思をもってそれをしていること、認識していることが起こせるかどうかもチャレンジですね。
無自覚というところに置いてそのまま気が付かないままでいたいのだ、という場合も、そんな時期も、人にはあるのですが、それはそれで楽なんかじゃなくてどこかで苦しいのですよね。私たちは自分の本当のことを見逃していないのだなぁ、と思います。それは身体の様々な動きや症状にも表れていたりもします。例えば目線ひとつも、そうですよね。
自分のことを変えてやれるのはどこまでいっても自分です。私も様々を振り返りつつ確認しながら日々を歩いています。

2016.07.23 Sat l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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