目標を掲げてはそれを達成していくという日常の歩き方が、それぞれにあると思います。仕事や資格や能力開発、恋愛や結婚や妊娠、転職や開業、制作や発表、対人関係や自分との関わり方、皆さん様々な目標を持っていることでしょう。
大き過ぎる目標は、持続するのも大変なエネルギーが必要になるので、目標&結果というセットは少しずつ大きくしていく方式が無理がなくていいと思います。自分を変えていくということはエネルギーがいるもの。意思の継続と実践が必要です。そして、そのための馬力みたいなものは、実はきっとシンプルなものです。例えば、それは自分が充実するからであって、正しいから、ではありません。そんなの当たり前じゃん、っていう方も多いと思うのですが。今ここであらためて見直してみよう、と思うのです。
私はそれがやりたいからする、ということをです。誰かのためでもなく、誰かのせいでもなく、自分を幸せにしたり、充実した日々を送ったり、喜怒哀楽を大切にして日常を歩いていくことは、正しいこと、なわけではないのだということを再確認しましょう。自分から溢れるものを、感情を、受け止めつつ、明確な目標を持って自分を育てていくという日常は、そうしたい人がそうしているだけのことです。
何かを待ち続けているのではなく、依存し続けてすがるのでもなく、何かに促され続けてようやく動くというような行動力ではなく、そのような他力本願の人生じゃない歩き方を採用しているということです。
やりたいことがわからないという声も時々聞きます。やりたいことがわかっていれば苦労しない、わからないからこそ困っているのだ、と正しそうに言うのを聞いたことがあります。これは大きなものを期待している時なのかもしれません。実際の自分のやりたいこととの出会いというのは、例えば「今日は目玉焼き食べたい」という出勤途中の自分の感情や声を無視することなく聞く、あるいは即採用して行動する、ということです。お昼に食べることにするのか、仕事が終わった晩ご飯に食べるのか、いつどこで実際行動に移すのか、あるいは行動に移さず自分の感情を忘れてゆくのか、ということです。この実行の連続の先に、より大きな自分の「したいこと」「ほしいもの」との出会いが待っています。自分から出る「大きな欲求」をただ待ち続けていても、それはやって来ないのです。


2016.06.25 Sat l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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