ねばならない…というのが無自覚に自分の中に沈んでいることが少なくないのが私たち人間。それがあるということを先にまず前提とした上で、自らをよく観察していくことを重ねていくうちに気が付くことがあります。ねばならない…と自分を矯正しようとするその背後に、他の誰のものでもない自らの欲求が隠れていることをです。欲求、欲望の自分は、そうっとこちらをのぞき込んでいるのかもしれませんし堂々と居て笑ってさえいるのかもしれません。さて、自分はどうでしょうか。
抑圧は無自覚な場合があります。当たり前にそうしてきたから、です。自分とは違う様々なものを見て出会って、ようやく気が付くということがあります。怒ったり悲しんだりすることは、笑ったり楽しかったりすることと同じく、その両方が大切な自分です。感情を他者にぶつけろというのではなく、無自覚なままの状態から自覚的な状態にしてゆくことに意識を向けていくことで、自分をより以上広く深く受け止めていこうよ、というチャレンジングなお話しです。
本当には私は何をしたいのだろうか? 欲しいのは何だろうか? 
そんなシンプルな質問の答えも、すでにそこに存在しています。私自身の身の内に。言語化するのは私たち自分自身です。地上にある何か(仕事内容や文化活動など)にそれを置き換えてゆくことも自身が起こすことです。

2016.05.19 Thu l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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