例えば。それは突然に、まるでいつもの場所が全く違う場になってしまっていることに気が付かされることがあります。意思決定と実際の行動力の積み重ねの先に、予期せぬときに何かが変わってしまっていて、それに気が付く我々の意識はちょっと通り過ぎてから、みたいなところがあります。ハッと気が付くとまるで変わってしまっていることに気が付くのだけれど、その変わり目の瞬間を覚えていないのです。知らないのです。おそらくその瞬間に人というのは、小さく気を失っていたりするのですよね。我を忘れてる。
私たちは今この自分が何もせずともそのまま続いてくのが当たり前だとどこかで信じ込んでいたりするから、自分や、場や、環境がもうすでにシフトしてしまっていることにも気が付きにくい。なので時に、無自覚であるがゆえにシフト前のことや関係といつものように近寄ろうとする。けれどもはやそれは力技のようなもので、無理があって。
表面の自我としては、自分育つってことは、寂しいと感じてしまう体験であるってことも成長し続けることを選んでいる人には体感がある。そして、成長するってことは、過去の自分を捨てるのではなく懐に抱えて先へと移動していくということと繋がっているということも、ほんの少しづつなんとなくわかったようなわからないようなあやふやな自分でありつつも、求める人はさらにその先へと進んでいくのでしょう。

2016.05.12 Thu l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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