自分に与えられた使命とは? とか、何が天職なのかわかったらそれをしたいのだけれどそれは一体何ですか? というような質問が心の中に浮かんでしまう時ってあると思うのです。が、しかし、です。本当には知らされてわかったからする気になれる使命とか天職なんてものは、実際無いに近いでしょう。認められてこそやる気が出るみたいな、それは今ここに起きていないことへの妄想で、夢を見ている状態が少なくないと思います。実際私たちは、他者に、やるといいよと言われても結局やらない、ってこともよくありますよね。その気にならない、わけです。
その人だけの今回の人生での「仕事」や「目的」というものは、自分からしか出てこないのです。最初は誰かに言われてやったとしても、それが本人にとっての重要なことであったなら、自発的にエンジン吹かして自分で進んでいくことになるでしょう。やる気になる自分にしてやるには、自分から動いて探して求めていくことが必要だってことになります。もちろんその発見には、苦しさや辛さもあるかもしれませんし、見えない何か、在るかどうかもわからない何かを求めて歩く自分に意味が無いんじゃないかと思うこともあるかもしれません。
誰かが幸せにしてくれる、充実を与えてくれるということは、待ち続けてもやって来ないということです。どんなに小さなことからでも、自分が好きだなと思えることに時間をかけて学んで、自らを伸ばしてやるという風に動けるかどうかなのだと考えた方がわかりやすいかな、と思います。そういうことをたくさんやっているうちに、自分の「らしさ」というものが表されていくことになるということでしょう。
特別な意味が欲しいって、誰もが思う時期があると思うのです。それ自体は間違ってなどいないと思います。ならば、本気で探そう、じっとなんかしていないで探しに出て知って学んで重ねてみようよ、って思います。答えは出るはず。どこかが違うならまた、新しい模索を始めよう!懲りるなんてことなく、歩いていこう! 何一つ諦める必要なんて無いよ、と思うのでした。
自分にとって自分という存在は、本当に特別な意味を持っている、宝物を抱いていると思います。

2016.04.03 Sun l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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