見えているものがすべてだと、思いこんでいるのが私たちだとして、最初から私たちには見えてないものがたくさんあり過ぎるのだ、と仮定して歩いていけたなら、これまで無いと思っていたものを見ることができる可能性が格段と増えることになるでしょう。
私たちは見えるものを増やすことができる、という言い方もありだし、より繊細な眼をもって微細なものを見ることができるようになるよ、という言い方もあり。
わかりやすい「もの」ではないところを見る目を養うには、「様々なことに気付く」ということが必要になるのですよね。日ごろからのたくさんの感情体験も必要です。途中で手離さず徹底的に考え倒す、とか、感じ続けるとか、入り口も様々あると思うけれど、要は「求め続ける」ってこと。欲しがり続けるということ。脳内でだけでは無くて、全身を使って、です。座学だけではコトは起きない、起こせない、ということを後になるほどに実感してしまうものです。

2015.12.03 Thu l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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