ひとつずつのことに気が付いていくという作業は、仲間と一緒にやることで時に素晴らしい加速が起きることがあります。本日もそんなひとコマがあったように思います。
まるでそれが見えなかった位置にいたのに、まるでそうは思えない心の状態にあったというのに、移動してしまった後から自分のこの変容に気が付くことになります。感じられる、見えてくる、という私への変容。しかし、自分でもなぜだかいつだかわからない、けれど移動してしまっているのですね。
まるでそれはその境目に置いてのことは記憶喪失状態、とも言えるでしょう。なんどもこの似たような場面を体験していくことで、この状態にも今以上に詳しくなっていけるはず。私という存在がどのようなところで反応を起こしやすいのか、どこでどのように気を失っていくのか、そういうことに興味を持つといいですよね。私という存在を見る私、を見る私、の構築。これは続きます。
そうそう、私の師匠は、時の経過、感情の経過とともに私の中で、さらに偉大でユニークな存在になっていっています。本当にありがたいことです。例えばある時には見えぬ言葉で、聞こえぬ音で、今も日々たくさんのことを教わっています。

2015.01.17 Sat l 誘導瞑想 l COM(0) TB(0) l top ▲

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