今日は土曜の新誘導瞑想の会が朝から。
「引っ込みたい」というSさんの発言から、他のSさんが「仕事したくない、働きたくない」ってこと?という質問が出て、Sさんの答えは「そうじゃなくて引っ込みたいという気持ちがいちばんここにある。こんなので仕事すると恐い。怖くなる。無くなってしまいそうで。」という表現で。これは、新しく動き出そうとしているSさんから見れば、理解できない不可解なことのように聞こえます。
例えば、わかりあえない話合いにひとつの接点を見出すことが出来たなら、話はまるでその様相を変えるという事実を本日は目の当たりにしたようでした。今回の場合の皆が共有出来得る接点とは「それはタロットでいうなら女教皇と女帝の違い」ではないかということです。ひとりは女帝として話続けていて相手のことがわからないといい、ひとりは無自覚に女教皇という非活動の必要性について同化しつつ話続けている。お互いの役割は違うため、女帝と女教皇はいつまでもわかりあうことが無い、ということです。ざくっと言うと、女帝は生産性、止まることのない動きを表し、女教皇は非活動、黙してじっとしている状態を表します。
その視点をひとつ提示しただけで、場は一瞬にして変わり動きだし、話が前に進み始めました。お互いを否定的に見ることなくただ立場の違いとして理解し、話し合うことが可能になったからです。
今日は日本に戻ってきた映像作家のSさんもいて、過去の体験から女帝体験と女教皇体験についても話していました。生命の樹の話も出て、4つの階層について少し話したり。
ひとつのだだっぴろい平面で目の前のこと全てをわかろうとすることと、階層があるということを理解しながら見ていく練習をすることと、様々な立場を理解するということは一体どういうことなのかのヒントを今日は手に入れたかもしれないわけで、さっそく自分の日常の中において様々練習されるといいと思いました。
あと、三次元であったり四次元であったりのどちらもの旅を軸とした実践ワークをやりたいということもカナダ帰りのSさんから希望が出ましたので、それについても考えたいと思います。

2014.09.06 Sat l 誘導瞑想 l COM(0) TB(0) l top ▲

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