本日の新・誘導瞑想の会では、欲しがる愛と与える愛についてがテーマでした。こうありたいという理想論ではなく、日々の生活の中でどういう状態が外に向かって愛の保障求め欲しがる状態なのか、欲しがり過ぎて憤怒の姿になってしまうというのはどういう心の時なのか、本当に言いたいこととは何なのか?…ということを体験を交えてお話していただきました。さらにはその時の自分の感情をどうしたら理解していける位置にあれるのか、呑みこまれていない自分自身をどう作っていけるのか、ということについても。
欲しいものが手に入らなくて、けれど諦めることも出来なくて、イライラし続けているというとある女子の悩みについての話が発端でした。してほしいことがいっぱいなんだよね。いっぱいいっぱい。人から環境から宇宙から、貰いたいものがいっぱい。したいこと、ほしいことを自分が自分に正直に感じさせてあげない日々が続くと、思考が先に働いてしまい本当に欲しいことがなんなのかわからなくなってしまうという症状に私たちはなります。
とある人にずっと会っていないし寂しがってるだろうしという前提もありつつ、したいことを語っている時に、「一番近しいところにあるものからを言うなら、その人に会いたい」と言ったとある彼女の感情を少しずつほどいていくと、出てきたのは別の感情でした。
「会いたい」じゃなくて、再会した時に「よく頑張っているね」と自分を受け止めてほしい、そして存在を許してほしい…というものでした。会いに行ってそっと背中を見つめて満足なのですか?と聞いた時、その感情は起き上がり。彼女自身が気が付いていなかった感情に出会うことになりました。それはもうずいぶんと会っていない息子さんへの想い。彼に包容力を求めてしまっている自分に気が付いた時、彼女の目から涙がこぼれていました。
人は時々いろんなことが見えなくなることがあります。立派な存在として前に立ってやれないという負い目や罪悪感というのもあるかもしれません。取り返すことも成果を渡すこともまだまだ出来ない自分に苛立つこともあるでしょう。それでもね、一生懸命に生きている、それだけで、離れたところにいる人に必ず伝わるものです。だから自分を一生懸命に、生きる、それがきっと自分に出来ること。そんなことを感じた本日でした。
あ、Sさん、就職活動、上手くいくと思ってるけど、8月の幸運を祈る!

2014.08.23 Sat l 誘導瞑想 l COM(0) TB(0) l top ▲

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