言いたいことがやっと言えたと、喧嘩ではありながらもどこかで喜んでいるという女子の方がいました。しかし、よく聞いてみると、その喧嘩の時に相手が本気でキレていたのを見たというのですね。さらにその瞬間はその相手の瞳にしっかりと自分が映っていたと。相手が自分だけを見ている、無視されていないということを実感した瞬間を手に入れたことに興奮しているようでした。喜びさえ感じているのだと彼女は言いました。近寄った気がする…と。感情には奥行きが存在します。この場合も単純に喜んだり悲しんだりするだけではないところから捉えていく練習をしていくことが次への一歩を生み出すでしょう。

ここで、やはり瞑想を続けながら自分自身へと向かう、本性との出会いということを目指している方向けの内容を簡単にひとつ。
感情には層があります。例えば、手前から奥へ、というようにです。ここでひとつポイントがあるのですが、瞑想などの意識のレベルにおいては、浅いとか深いとかいった表現を使うことも多いのですが、これはちょっとした誤解も生まれやすいでしょう。感情の発見においても浅いところとか深いところといった表現をすることがあるからです。
ひとつの出来ごとの中にあった感情を掘り下げていく時、上から下へ向かう探し方ではなく、手前から奥へとイメージして探してみると違っているものが思い出せたり見えてきたりすることに気が付きます。そのひとつの風景に存在する様々な自分の感情、なぜその感情が繰り返されてしまうのか、何を求めて自分はそれを行為し発言してしまい、身体はなぜそう動くのか…などといったことの原因となる感情の糸口と出会えるきっかけが増えるでしょう。
本音には段階があります、ひとつの理由や感情を見つけたということが結果であり完了ではないということです。私たちは、表層の自分にも秘密にしていたりわざと誤解させているものがあるのですね。自分が自分を探せるような意識になるごとにさらに奥の感情が呼んでいるのがわかるようにもなっていくでしょう。深く掘り下げるということは、手前から奥へ、ということなのだということ、もしかしたらこれひとつで新しい発見があるかもしれませんよね。これもsana がずっと研究し続けている「ライフシンボルの9分割理論」からわかることです。人は経験の生き物だということも関係します。
体験談は遠慮なくお送りください。わからないけれどもっとよく知りたいという方は、個別セッションにて。

2014.08.11 Mon l カウンセリングの現場から l COM(0) TB(0) l top ▲

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