子供の頃からよくやっていたことの中に、異世界の存在との出会い、そしてその出会い方というものがあります。昨日のちょっとしたことから思い出したのですが。
田舎の道を歩いている時には、木々や森や湖などが普通にあったので、それなりの存在との出会いがありました。私の場合は正面から出会うということをほとんどしていなくて。背後で出会います。
雑木林や草の小道を歩いている時に、まず気配があってそれらが移動しているのを見ます。背後で動いている映像がそのまま見えてくるのですが、これはこの実際の目で見ているわけではありません。脳内で見ていると言った方が近いです。彼らと出くわした時には、静かにしています。通り過ぎるまで。もし向こう側に見つかっている状態なら、踏み込みませんよということを知らせるかのような動きを私がして、そうっとそれぞれの住む世界へと別れていきます。その時の動きとして私が何をやるのかということですが、それは時々に応じて違っています。それを思い付きそれを行うのですが、「それ」は全くもって奇妙な意味不明の動きや作業だったりします。「それ」は私の内側からどうすればいいのかがやってきます。出くわす存在たちによってや、どの場面に出くわしたかによっても違うので、そしておそらくは毎回違うので、ひとつひとつのあり方は覚えていません。(笑)
ただ、私にとって大切なのは、荒らさないこと、でした。向こう側に踏み込み過ぎてはならない、そう思い。その瞬間は、呼吸さえも静かに、邪魔せぬように、というような。
出くわしたそれはまるで個人的な欲望の無い世界に見えて、ただ溢れる生命力というものに近しい世界と存在たちに思えて、我々人間が持ち込めないものがあるように感じていました。そこには、人はこのままではそこと関われない、帰れない、みたいな。時々はある意味お互いが助け合うというような場面もありますが、そこも役割に徹するというような感じで、後を引きずらず思いを残さず忘れていくというような。
思い起こしてみたら、神々のエネルギー、大自然のエネルギーに出会わせていただく時も、わりと私は背中で出会うということが多いような気がします。そういえば、そうだなと。

2014.06.26 Thu l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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