正しい選択ってないのでしょう。そのどちらかが得でどちらかが損かというのも、現世利益的。本当に心理的な側面からの宇宙に繋がりたいとかルーツと繋がりたいとかいう場合、その意思が一番大切で貴重なものなのです。そこにきらきらがある。目を輝かせて、宇宙を見上げる。あるいは内側への旅を。
そういう人にとってみれば、何かの選択ミスのように思えることも、それはミスではなくて、経験のひとつとか通過点。なにより向かうところが決まっているのなら、周辺状況はある程度どのように変化してもOKなわけです。何か一つのせいで、それが果たされないとかうまくいかないことになるなんて、それはそっちのほうが妄想で。このきらきらが、何より、ここにあるってことが、重要で新鮮な材料かも。
求めるものが定まっているのなら、向かう先や育てるのもが決まっているのなら、もう何があってもそうなのでしょう。この地上でどのような出来事に出くわしたとしても、迷いなどなく、ひとつずつを乗り越えてゆく。行けると信じている、その心が、起き上った心。発露した心。
出会えたその奇跡のようにも思える自分のまだか細い感情を意思をそっとたずさえて、旅を続けていくといいのです。時に星を見上げながら、時にコップ一杯の水に何かを映しながら。確かな本当は、今ここにある、自分とともに。
この夏至前後にお会いした方々のそれぞれの物語を思い出しつつ、そんなことを思いました。

2014.06.23 Mon l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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