自分自身の見たくないところ、ってありますよね。欠点や欠損だと思っているところとか。悲しみとか痛みとか。
そういうところを見ないままに人生を歩いて来て、いつしか疲れてしまって、気が付かないうちに感情さえその生き生きした状態を失い、平坦な感情になり、嬉しかろうと怒っていようと感情が動かない、それが当たり前になっていく。だから、自分は常に平常心なんじゃないかって誤解さえしながら、さらに毎日を過ごしてしまう。実はそういうことってわりと多いです。
最近、アトリエに来られる方々によく見られるのが、自分の痛みや過去の感情を受け入れてゆくことへの興味が涌いて来たと言い出す方々です。自己の変容を望んでいる、という言動をされるのですね。
自分の性分、本性とはどういったものなのか…、それを知ってしまっていいのか!という感情が自分の内側に感じられるようです。知ってしまうということは、そう生きていいのか!ということに当然なります。
見えない鎖で縛って来た自分自身をひとつずつ解いていくなら、傷の存在の発見と傷が治りゆく過程も経験するわけですから、時間はかかるかもしれません。しかし、私らしく生きることへの道はもうすでに始まっているということです。もうここからは、諦める必要もありません。見て見ぬふりをする必要もないのです。自分が自分と出会いながら一歩ずつを歩いていく、そんな日々の中、今までに無かった様々がきっとたくさん発見できるでしょう。

2013.08.26 Mon l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://cafenanairo.blog87.fc2.com/tb.php/2153-c05e41cc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)