以下は本日の誘導瞑想の会でのメモ。
自分のこころを大切にするってことを日々実行する人は、いつしか他者のこころの動きを気にすることができるようになります。特に痛みとか悲しみとか、傷にそうっと手を当てたり、知らない顔して見守ったり、そんなことを実行することに気が付くようになるんです。役に立つことができるかどうかじゃなくて、心を傾けて思い遣ることが、自分の心の中に起き始めてしまう、といった方が近いかな。
例えば自分を大切にするってことは、たくさんある溜まった感情を見殺しにしないってこと。しかし、その蓄積されたたくさんの感情の実感なんて誰にもないものです。自らの無自覚な言動のそこここに散りばめられているであろう感情の発見に取り組んでいく中で何らかの体験によって触発されて、その感情を思い出すってことはおおいにありますが。取り組むときの気持ちとしては、すでにあるであろうものとの出会いに向かう意識が重要で、それはまるで密林の奥にあるであろう古代遺跡の発見に向かう研究者みたいです。忘れ去られてしまった幼き頃の思いもあるでしょう。過去世からの感情という場合もあります。
私が私と出会うってことに一生懸命になっていけるかは、本人の欲求次第です。わりと人生につまずく時がチャンスだったりもします。自らの感情体験による思い込みや関係性の固定が問題になっている場合が多いので。
そうして、悲しいことを悲しいと思えるか、嬉しいことを全身で喜べるか、感じることを否定していないか。突っ張って気を張って頑張りすぎていないか、様々自分の面倒を見ていくことが始まるのですよね。

2013.06.28 Fri l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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