幼い頃から好きだったことが大人になってからも形を変えてはいるが追い求めるものとして生き続けてたっていうことありますね。好きだったことを、それが稼ぎになるわけがないからという理由で、行為すること自体を抑え込み、わかりやすく経済活動として成り立つことに入っていき、それこそが大人として正しいのだという考えにいることが当然なのだと誤解していることも多いです。
どうしたらいいか、それよりも先にどうしたいのか、という欲求を感じてみましょう。だってそれは現実的じゃないからと言う前に、この社会で本当はどうしたいのか、どうお仕事していきたいのかということをハッキリと言語化してみましょう。
ある意味、落胆することは悪いことではありません。足りないもの、行為を知り、変革するチャンスを自分に与える機会でもあります。それは夢を実際にこの地上で叶えてしまうという道を歩くことでもあります、案外とこの現実化ということから目を反らし逃げている場合も多いのです。
まずは自分を、等身大の自分を受け入れ、地上での練習を受け入れて実際行動(社会での表現)していかなければ、いつまでも理想という夢のままなのだということをあらためて考えてみるといいなと思いました。
もちろん、当然ながら私自身のことを言っているということでもあるわけです。そういう節目を感じる先日の金曜誘導瞑想の会でした。
怖がっていいし、恐れていいんだよなぁ、って思います。積極的に体験に向かい、味わうこと、その上でそれが何から出来ているのかを探し知ることというステップを手離しさえしなければ、あらゆる感情を感じてしまうことは素晴らしいと思うのでした。

2012.07.29 Sun l sana日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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