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偶然チャンネルを変えていて、能の「羽衣」を観ました。すぐに「お面作りとガイドとの出会い」という内容の講座をしていた時を思い出しました。まず紙粘土でお面を作って各々に色を塗り、次に変性意識に入ってガイドに会い、踊り(動き)を教えてもらって帰ってきて、それを地上に降ろして自らが舞う!という内容の講座で、ある時期に連続講座として開催していたものです。
私自身も参加者の皆さんと一緒に制作し、そして踊ったわけですが。その時にガイドへの問いで得たものは、止まっているように見えるものということで、ひとつが生まれてやがてしおれて枯れていくひとつ、というのがテーマでした。能の動きは大きなヒントだったのです。地上に降ろす、体現するという段階で、イメージ通りのそのようにはまるでいかないので、がっかりもするものですが、それ以降自分が見つめる方角というのを知った、という時でした。
私は昔から特定のガイドを人としてあまり見たことがなくて、それはいつも空気感のようでした。ガイドという概念も持っていなかったのですが、信じていい存在だとは思っていました。後々それらをガイドと呼ぶのか、と知ったのです。人として見ていたのは、例えば小学生低学年くらいまでのことで。自宅の階段の中程に住むおばあちゃんが居て、いつもお腹が空くとおはぎ(きなこ・ごま・あずき)の中から好きなものをを作ってくれて食べさせてくれる存在でした。とある歌を歌いながら両手で糸巻きみたいなことをすると、やって来るおばあちゃんです。どうしてその歌でその動きなのかはもう覚えてはいませんが。
ガイドという存在がよりハッキリとしていったのは、タロットやRV、水晶視や黒鏡の練習で、瞑想でターゲットに向かう、移動する、見るというような練習をし始めてからだと思います。
ガイドとの出会いの形としては、光とか煙のようなものの動き、動物、変な形の生き物などです。それ以上に、実際はそこに現れた動きとか物語の一場面の方を意識は向いていて、ガイドの声は頭の中に入ってくるという方が近いかなと。
自分が変わっていくほどに、出会いも出会い方も内容も、捉え方や意味も変わっていくものだと思います。だからこそ今ここにいる自分がどこを見ているのかということが重要になってきたりします。


2018.11.05 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲