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何をしていいかわからないから、しない。どうしていいかわからないからなんとなくそのまま時間を過ごしている。そういう日常の渦中に今あるんだという、とある知っている方の話を聴きました。これまでも目的も無く、今も無いから仕事には行ってあとは休日も家の中に居て全体的にぼぅっとしている、と。やらなくちゃいけないのだろうと思うことも、ノートを買ったはいいが開いた途端にそのページに具体的になにをか書けばいいのかわからないから横において、結局そのまま一ヶ月間何も書かなかったという体験があるのだと。
そう話す自分自身から「強い欲求」がこぼれて溢れ続けているっていうことには気が付いていない状態で、部屋の空気感までもが固まっていく、というような感触あり。
これはこれがそういうことなのか、と納得したのです。なぜ、決めたことが出来ないのか。なぜ、自分で言い出したことを忘れたり、軽んじたりしているのか。なぜ、どうしたいのかわからない、と言うのか。なぜ木星期を前にしていながら何も成していないことに不安を感じること無く、恐怖を感じることからも逃げてしまっているかのようでもあり、なにか別の自信さえあるかのような落ち着きがあるのかということも。
感情論じゃないってことで、それではどうにもならないものだということで。これは思考と感情と身体ということと関係あるってことで、癒やせば進むという話しでは無くて、もっと違う視点が必要なのです。
その方は、そのまま、このままいくのだと思う、と話していました。まだ恐くない、まだ危機感というものを感じてなどいない、と話していました。他者の懐にある寂しさを探しているかのようでした。受け入れ先を求めている強い欲求の自分を後ろにまわしているかのようなあり方を見ました。
基礎的な内容のもので継続的に何か練習することが必要なのだとは思います。少なくともお酒飲んで解放とか気分紛らしとか、怒鳴ったり叫んだりして解放というのでありません。自分で気が付く必要がある、のですよね。自分が招いていることを。
内容などを変えてですが、自分のことを振り返るきっかけになりました。改革し損ねていること。立ち止まって自分とお話です。


2018.11.18 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
期待だけで動いていると、それは結果落胆に到着するっていうことを学び始めた頃を思い出すような会話に、最近出くわしています。期待だらけの中で抱く願いは、実は願いにはなっていなくて、それは「私にそれをぜひとも与えてください」というような他者に対する無自覚な姿勢の場合もあって、やはり結果的に「どうして私にはくれないんだ」「なんで自分だけうまくいかないんだ」という思いや発言に繋がってしまうこともあるのだそうです。
現実を受け止めてひとつずつに手を付けながら「欲しいもの」へと向かうには、知らず乗せてしまっているもの、果たされぬままの強い欲求があるということに意識的に取り組んでいく必要があるでしょう。
私自身、生い立ちという点からの身の置き場の無い不安感による切望で、存在の許可を無自覚なままに他者に求めて欲して、そんな自分に気が付かぬままに、ようするに相手を見ているようで見ていないままに、自らが落胆の感情に陥るというようなことを経験したことがあります。
積み重ねる勉強と実践が、ひとつのことを重ねていく行為が、そんな自分を変えていってくれる力にもなるでしょう。けして途中で放り出さずに。


2018.11.17 Sat l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
とある作家さんがその場で大きなボードに絵を描くという場面に出くわしました。もう何十年も描いている方で、その日はファンの人達の目の前で描くというイベントだったようで。たくさんの人で混雑していましたが、私はちょうどよい位置に入ってしまい、作家さんの姿も腕の動きも筆先も見えるという場所で、次第に集中していく自分が居ました。絵が完成すると会場内は拍手で、ハッと気が付いて時計を見ると1時間が過ぎていてビックリしました。体感15分ほどなんですよね。
墨、筆、一本でやがて浮き上がるように現れる人物、そこに光を入れていく姿、絵の中に居る存在達の迫力、ものがたり。思い出すものがありました。描いているときの体感です。真っ白なボードに始まって、出来上がっていくその過程、形で描くのではなく波とか色で近寄っていくというような描き方をしていたあの時。
忘れていたんだ、ということに気が付かされたのです。尻尾つかんだ感触。さてさて。


2018.11.14 Wed l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
見えてなかった自分のあまりに無自覚な言動が、ほんの少しだけ、見えたというよりかすかな感触だけれどほんの少しわかってきたことがある、という話しを聴きました。
それでもまだ板に付いた自分への姿勢は残りまくっていて、そこにあるのは無自覚な自己否定であると、手放すことは出来ていないけれど、それもまたほんの少し自分がどれだけ自覚無いままに持っているものを溢れさせているんだなと、感じたのだと。
理想のようにいきたいけれど、身体も感情もそのようには動いてくれなくて落胆ばかりしてきた現実をようやく受け入れて行こうとする自分がいるよと。
そんなSさん、これから先どのように仕事していくのか、挑戦なのだそうです。



2018.11.12 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
自分の持って生まれたものというのがあって、たぶんおそらくやっぱりそうなのだろうよ、と感じてはいても、様々な行動に移すというところで長く躊躇している自分が居たのは知っています。それでも大きくはそれることの無いように、関連事項には手を付けつつ、深掘りしないというか何かを地上化しないというか、そういう感じでおりました。天秤座の太陽に山羊座の冥王星が90度になった時には同時に牡羊座土星に対してもきっちり90度で、Tスクエアの状態だったのを思い出します。ここを境に大きく変わっていくものがあるという時期でした。
例えばこれは、現在天王星が逆行していて牡牛座から牡羊座へと7日に入りますので、2011年からのことを今一度思い出して、改革し残していると感じているところにどう手を付けていくのかということに関係するとも思うのですが。2019年の3月6日に再び天王星は牡牛座に入るので、それまでの間に何が出来るかということで。
私ごとに話しを戻します。本当の自分に帰っていくことと社会活動をさらに結び付けていくこと、という行動をより起こしていくことへの恐れとか怯えのようなものが思っている以上にあったのだろうなと思うのです。私の素性というか、本性のあり方としては、この地上では関係者はそう多くは無いようです。私は、とある一族との関係が深く、それがより明らかになっていくだろうし、これが問題というわけでは全く無く、これまでの歩き方ややってきたこととも関係していることもわかるし、これからやることもよりはっきりしていくだろうと思います。遠い物語に繋がる、私にとってメデタイことです。
何よりここ最近は、本当に北陸でのとあるコトを終わらせていくタイミングがゆっくりと来ているのを感じつつ、自分の人生を引き受ける覚悟を試されている毎日です。様々やって来ておいて、今更か?という声も聞こえてきそうですが、物理的なことの世界での判断とか動かし方の決断と行動という実践編がこの先に待っているのですね。自らの決断を360度から見直し、確認し、それでもこの決断でいく、という自分への道のり、過程です。時に弱気な自分のこともより理解しつつ、正しくあろうとなんかせず、自分の持ち分へと帰っていくひとつずつを細かく見ては歩いています。


2018.11.06 Tue l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
偶然チャンネルを変えていて、能の「羽衣」を観ました。すぐに「お面作りとガイドとの出会い」という内容の講座をしていた時を思い出しました。まず紙粘土でお面を作って各々に色を塗り、次に変性意識に入ってガイドに会い、踊り(動き)を教えてもらって帰ってきて、それを地上に降ろして自らが舞う!という内容の講座で、ある時期に連続講座として開催していたものです。
私自身も参加者の皆さんと一緒に制作し、そして踊ったわけですが。その時にガイドへの問いで得たものは、止まっているように見えるものということで、ひとつが生まれてやがてしおれて枯れていくひとつ、というのがテーマでした。能の動きは大きなヒントだったのです。地上に降ろす、体現するという段階で、イメージ通りのそのようにはまるでいかないので、がっかりもするものですが、それ以降自分が見つめる方角というのを知った、という時でした。
私は昔から特定のガイドを人としてあまり見たことがなくて、それはいつも空気感のようでした。ガイドという概念も持っていなかったのですが、信じていい存在だとは思っていました。後々それらをガイドと呼ぶのか、と知ったのです。人として見ていたのは、例えば小学生低学年くらいまでのことで。自宅の階段の中程に住むおばあちゃんが居て、いつもお腹が空くとおはぎ(きなこ・ごま・あずき)の中から好きなものをを作ってくれて食べさせてくれる存在でした。とある歌を歌いながら両手で糸巻きみたいなことをすると、やって来るおばあちゃんです。どうしてその歌でその動きなのかはもう覚えてはいませんが。
ガイドという存在がよりハッキリとしていったのは、タロットやRV、水晶視や黒鏡の練習で、瞑想でターゲットに向かう、移動する、見るというような練習をし始めてからだと思います。
ガイドとの出会いの形としては、光とか煙のようなものの動き、動物、変な形の生き物などです。それ以上に、実際はそこに現れた動きとか物語の一場面の方を意識は向いていて、ガイドの声は頭の中に入ってくるという方が近いかなと。
自分が変わっていくほどに、出会いも出会い方も内容も、捉え方や意味も変わっていくものだと思います。だからこそ今ここにいる自分がどこを見ているのかということが重要になってきたりします。


2018.11.05 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
今日聞いた話から。
誰より自分が一番自分を許していない、許可していないことだらけ、であるならば、外に見える人達や環境から自分は許されない、許可されない、ということを信じてしまっている自分がいるということかも、って考えてみましょう。だとしたら、許しが欲しくてしょうがないはず。誰かに認めて欲しくてしょうがない、はず。なんじゃないだろうか? そう考えて自分のことを見つめてみましょう。
そして、外に出現してから、自分が自身に許可出せるようになる…というのは、順序が逆なのかもって考えてみましょう。
たくさんの自分のことの出所は、誰かじゃ無くて、社会じゃ無くて、自分だからです。
簡単にわからないことを横に置かずに考え続ける、継続的に探求し続ける自分というのを、今よりも少し大切にし始めると、何かに気が付く時がやってくるかもしれません。その解けそうに無いパズルを作ったのは、体験を望んだのは、いつかどこかの自分自身だったりするのです。


2018.11.03 Sat l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
変性意識状態になることが増えるといいですよね。何十分もわざわざ瞑想するっていうのもありですが、もっともっと早くとある状態に入ることが可能になるように練習していくと、意識して瞑想していくと、早くなっていくものなのだと感じます。だからもっともっと短い時間でもOK。ただし、毎日続けるとか、継続するっていうことは重要です。
私は気が付くと幼い頃から長い長い間、座ってただただひとつに毎日何時間も向かうっていうことをたくさんしてきました。それはやっている間に瞑想状態になります。ある時から時折、境目というか、とある空白の向こう側にバンッと出てすでに何かを見ている自分がいることに気が付いて、ハッとしてしまうと終わってしまうので、そういうことを時々体験している自分がいることに気が付いた時があって、そこからはそういう状態になっている自分に全くの無自覚状態ではなくなりました。それに入るまでに時間もそうかからなくなっていきました。
大きくそれから離れて、違った環境の中に入り、占星術やタロット、変性意識状態の練習や実践、仕事としての活動ということで続けてきているわけですが、これらの体験はずいぶん後になってから思い出したのです。2003年から始まって2005年の間に一度全部を忘れ去ってしまうくらいそれまでのあらゆるものを捨てた、ということがあったからでしょう。でも繋がっているんですよね、知らずたくさんの練習をしてきていたんだなと、自分を受け入れ始めていく流れがありました。過去に帰るわけではないし、あり方はずいぶん違うのですが、やって来たことを別の形に生まれ変わらせた上で生かそうとしている自分がいるんだなと思っています。


2018.11.01 Thu l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
少しずつ、ほんの少しずつだけ、変わっていくもの。
結果が人生を変えてくれるんじゃ無いから。日々の渦中が、何を思い何を行動しているかの瞬間瞬間の自分が、いつかの結果に繋がってはいるから。


2018.10.31 Wed l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
Hさんから日常の報告をいただきました。自覚無いままに見たくなかったことを、それでも日常に起きる問題からは逃げられず、とあるきっかけで見てみよう!となって、それでもどう見ればいいのか捉えて次のことを考えていけばいいのかというところが自分では曖昧で。それでワークをしたわけですが、現実を見る、直面するワーク。そして日常に帰られて、奮起してひとつずつ着手。その経過状況などを送ってきてくれたのです。
ゆっくり呼吸をしながら、ひとつずつ、これからのことを進めていかれるといいですね。
外に見る「成功」の形というのがあって、それとは追いかけてはみるのだけれど、どうも違うなぁ、うまくいかないし、という場合があります。それこそがヒントにも実はなっているのかもしれなくて。これまで見てきた「うらやましい形」での「成功」が、自分の本当に欲しい「成功」ではないことがあります。社会で見てきた、他者に見てきた、成功の形を自分のそれだと思うことは誰にでもあることで、実際本当には自分がどうなっていくことを望んでいるのか無自覚なので、迷い、わからなくなり、自己を否定するようなことにもなってしまったり。
自分の特徴にたくさん出会っていくことで、それはより整理整頓されていくことになるでしょう。積み重ねていく練習は、いつかの私を助けてくれることになります。

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2018.10.22 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
今、欲しいものは何ですか? なんとなく幸せになりたい、いいことありますように、というのじゃなくて、自分の中を整理して欲しいものを明確に意識化していますか? さらにそれを手に入れたなら、自分はどうなっていくのでしょう? その姿や風景、出来事などの想像は可能ですか? 
この夏~秋は、占星術にもタロットにも詳しくない、全く知らない、という方が、パスワークを始めるという流れが多いです。パスワークは、無自覚なままの自分について詳しくなっていき、様々な視点から自身のことを捉えることが出来る自分に近付いていこうという挑戦であり練習です。もちろん自分の弱点をより客観的に知る(活性化していく)ということや願望実現とも重なってきます。例えば見えるものの世界に向かっての欲求だったり見えない世界への欲求であるとか。自分という存在を社会基準に合わせたところからだけでは無い点からより理解していくことのできる可能性も。

2018.10.21 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
自分ひとりでのことじゃないがために、自分の力ではどうしようも無いという問題があったとして。他者や集団が絡んでくること、だとして。その問題自体が思想や意思を変えることは無いだろうし、こちら側に譲歩することも受け入れて変わることも無いだろうというものであったとしても。不可能に思えてしまう現実がたとえあったとしても、実はどうにかしようがあるのだよということを外に知る。思い付く、気が付く(自らが)というものではなくても、まずは知るということは、凄いこと。それは出会いによって可能性を手に入れた瞬間です。そこからが自分。そこから自分の意思を作っていく日常、小さなことの積み重ねが、その行動力が、ある時変容を起こすことになっていく。やがていつかは発露する、閃く、問いと答えがセットになっている、ということを自ら実践していけるかもしれない、ということに繋がっている。

私事ですが、10日にプログレス太陽が度数を変えました。これからが蠍座最後の度数、30度「ハロウィンのわるふざけ」というシンボルの約一年です。10日までは一番苦しいともされている悲しみの度数29度の一年間でしたが、それが終わりました。今は蠍座人生30年にさよならする最後の一年のはじまり、ということになります。その後は射手座30年間のスタートです。

2018.10.11 Thu l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
外に向かって何か表現するもので新しいものが欲しいから情報探しをするとか、他者に話すためとかネタ探しのようなことを人に向かっても時折無自覚にもすることってあって。やがて欲しがってる自分に気が付く時もあるのだと思います。今のままでは足りないって思ってしまっている自分がいるとか。私たち人間って自分に気が付かずそういう症状になってしまっていることがあったりして。
誤魔化さずにきれいごとじゃなく積み重ねて歩いて行く中で、実は大きく借りてることに気が付かされる。外にそういう人を見たときも、振り返る。
そういえば、今日は新月ですね。12時47分に天秤座16度で、です。金星も蠍座で逆行開始しているし、様々確認する必要がありそうです。新しい小さなひとつずつを自分のものにしていくってことは、血が通うまでということなのだろうなと。

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2018.10.09 Tue l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
昨年の夏くらいから、個人セッションなどでパスワークを進めていますが、もうすぐ「21・世界」に辿り着く方が出始めます。ここまでやってきたパスワークは、ものの世界に重点をまだまだ置いているであろう自分からのスタートで、4つの階層の生命の樹の一番下であるアッシャー界、ものの世界、見える世界に足場を置いている自分に意識的にフォーカスしつつ、まだ叶えていない自覚ある欲求欲望を手に入れてくことと、一段上の生命の樹の見えない世界、心の世界に足場を作って行くことを目指していこう、とか、一部は稼働しているねということを知ったりとか、してきています。さらにその上の層にどこかは飛び出していたりすることもあるのかをも注意深く見ながら、しかし今現在の生活メインの環境に振り回される自分というものをより自覚していきつつ、自分の本性に近寄っていく旅を続けていく自分作り、のような感じで皆さんが進んでいます。
これらは「ライフシンボル(絵画療法)や立体ライフシンボル」の理論に根差しています。この療法を構成する要素一つ一つを私自身が何回もトレースする必要があると思っているし、自分のいる場所が変わっていけば、また新しく理解する必要があるわけで、何度でも悩ましいわけで、それは発見がさらに増えるわけなので、何度でも美味しいとも言えるものです。さらに師匠は進化し続けているというか、もともとのものにしていこうとしている。ゆえに私は学び続け、研究し続けることからは手を引かないでしょう。進みはゆっくりとだし、やり方も独自っていうところがあるし、あまりにゆっくり過ぎるという時期も数年前までの数年間はあったので、それでもここから自分の意思でまた歩いてひとつずつをできる限り細かく確かめていこう、重ねていこうと思っています。
今、皆さんが実践しているパスワークも、さらに階層を変えていくということも先々起こせる可能性がある、ということです。そのために必要なこと準備のようなことを、練習のあり方などをお伝えできるように、さっそく様々進めていこうと思っています。
例えばHさんは、あと数回で「21・世界」のパスまで行った後、すぐに次のステップのワークが始まります。自分のルーツへと向かっていける自分づくりをしたい、休んだり放置したりしている場合ではない、という実感があるので、という話で。
私自身のハーモ二クスとか、プログレスの太陽とか、木星期であるってこととか、そもそも自分の足場をどのように変えていくのか、より本気で取り組んでいるのか、地上的な部分にある問題や現実対応は実際どうしていくのか、ということや実践についてなどなどを考えつつ、さあ、ひとつずつ。
毎月開催している「立体ライフシンボル」も10年以上継続していますが。自分の生み出した作品から自分のより本性に近寄る、出会っていくと言いつつもその道のりは短くはなく、これまでは今ここに居る自分の足りないという感情をまずは満たしていく「願望実現」ということにより強くフォーカスしてきています。ですが、今年の5月に入ってからは少しずつ変化し始めていて、現場でもお話をし始めています。実際のやり方やあり方おいてはさらに今後も変化し続けつつです。
現在は、生命の樹の4つの階層の存在と本性への道ということを前提とした上での「欲求を実現する」ということであったり、体験することで自分にとっての未知が既知へと変化していく、自分の本性への旅のこれからを妨げないものとしていくための「作品との出会いと実践活動」として捉えていくという側面をより強く意識していきたいと考えています。実際にそれについて様々お話することもあるでしょうし、状況によってはしないこともあると思います。
今後の「立体ライフシンボル」というワークには作って実現!というだけじゃない、さらにこれまで無自覚だったところに意識を向けていけるような流れを用意しようと考えているよ、ということです。だからといって参加の皆さんにいかにも難しいことを目の前でほらやってみて、と言い出すわけではありませんのでご安心を。(笑) 例えば、聞いたようにそのように出来ない自分がダメだと言われている…というのは過去のご自身の人生体験からの思い込みです。逃れられない過去からの現状を正面に捉えつつ否定せず、正邪ではなく、ノージャッジでいきましょう。手離す必要のあるものは、そう望むならゆっくりとでも手離していくことが可能です。
前と同じように見えつつも、何かが確かに変わっていくんだよ、ということも起きていたりするのです。

2018.10.08 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
どう思えるのかってことは、その先の鍵を握っているということなのだなと。思い至ると至らないでは、体験の意味が違ってしまう。
起きていることをどう思うか…、今はこう思えるけれど…、それも縛られた固定観念の中に居てのことなのだから、ここから離れたなら違うことを思い感じるということなわけで。自分の居る場所(世界)によって、与える意味受け取る意味は変わってしまう。見ているものが違うということ。ならば我が身から出すものも変わるだろう。それらをさらに見て捉える位置に居るのなら、動きや停止や移動や前と後にも詳しくなるのだろう。などとさらに思いを馳せる。
自分が体験している現実は、本当にはそう感じている以上のことが何層にも起きている、横たわっている、ということを知っている位置に行くことが、可能性としてあるのだと。望むか望まないか、次第だが。それはあまりにも目の前のものが欲しいとか、手に入らない日常に執着しているとか、そういう場合にはまるで別世界の話しで、渡りのつかないものなのだということも、己と環境に起きることによって思い知らされていく。

最近の何人かの話から。良いとか悪いじゃなく、それは自分に還っていくお話しだし、出来るとか出来ないの話しではないから。求め行くかどうかで、それは自由だし、優劣と関係ないでしょう。焦っているのなら、おそらくは日常生活に理由がある。地上で果たされていないものがあって、それが引き止めているっていうことだからこそ、それ、に正面から向かっていくタイミングだと教えてくれているのかもしれない。ですね。

2018.10.07 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
本日のKさん。遠く遠くに置いて何かを思わないように感じないようにしてきていた自分のこと、過去から実は今もずっと続いている辛いこと、にフォーカスしてしまいました、ということを一ヶ月の間に自分で起こしていらっしゃいました。そこからさらにどのように見てくのか、考察していけるのか、ヒントをお話しさせていただき。感情に飲み込まれたり捉えようとする位置に移動したりしながら、自分のことを捉える練習へ。まだまだ過去のやり方は板についているのが自分だから、すぐに変わらない自分にがっかりなどしないことです。それは継続する中で少しずつ。

自分メモ。そのまんまで…じゃない、ってことあらためて考える。元のものと対応する地上のものと。それを見つけようとする自分という存在がどこ見ているのかってことと。同時に地上からのひとつずつの挑戦と。まだまだ手を付けるべきことはある。

2018.10.04 Thu l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
何人かの出来事を聞いてひと言。
現実を受け止めるってことは、起きていることから目をそらすこと無く、受け入れて、さてどう変えていこうか、ということに着手可能な状態に自分を置くっていうことで。だからこそ、思わぬ無自覚なところでやらかしてしまった自分の言動のあれやらこれやらたちを知るきっかけが来たときには、責めること無く嫌うこと無く見届けてやろう、とするとよいのだと思います。耐えがたい気持ちも含めて、そんな自分を受け入れていくほどに、見えてくるものも増えるでしょう。凄い人になれよとか、清廉潔白な人になれよという話しでは全くないのです。私たちはいつだって通過点にいて、失敗からも成功からも普通の出来事からも、それらのすべての場面から常に「何を学ぶか、何に気が付いたか」ということがおそらく大切で。ゴールに到達したら気を抜いて楽していい、何もしなくてよくなる、ということではないですね。
現実を受け止めることを先送りするという場合や、そういう人もいますが、逃げ続けているということには気が付いてしまっていて蓋をしているだけなので、何かに怯えるとか恐いとかびくついていたり、環境や他者の目を気にしすぎるというような症状も起こるでしょう。他者をどれだけ誤魔化してかわしていても、自分が一番重要なことから逃げているという本当のことを知っているのです。日々の中で堂々と胸を張ってはいないはずです。
あと例えば、タロットパスワークなど、ひとつずつ自分の今を見つめていくことに手を出すと、時に確かに苦しくもなるのだと思います。どのように実践するのか、と問われているような場面にも出くわすからです。これまでの集団性から離れて独自路線を求めたい人にとっては、乗り越えていくことに大きな意味を見いだすでしょう。


2018.09.29 Sat l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
例えば、起きてほしいと思う、とあること様々が、自分にとってありありと描けるイメージになっているかどうかが、キーです。文字情報だけでは少なすぎる。
私たち人が、信じる、思い込む、っていうことにもっともっと詳しくなろうとすることが、いろんなことを解決していく糸口になるでしょう。

2018.07.05 Thu l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
夏至の前後で見た風景からのメモです。
言い放つのではなくて、自分が自分の心情を受け止めるってことが重要です。誰かに見せつけて得たような気がしてしまう自分という存在は、まだまだ自分が自分を受け止めてはいない状態で。誰かに形を変えて支えてもらわなければ自分という存在を維持できない、価値を感じられないという状態なわけで、あまりに脆弱です。それは例えば、自由な世界ではなく、大きな依存の中に住んでいて、自分だけを特別な存在にしろという、誰かへのもう随分長く見続けている夢なのかもしれない、とゆっくり自分の今の、過去の、言動をひとつずつ振り返っていけるといいですね、ということで。
自分のあらゆるパーソナリティを理解し得ていくという道を歩くことの大切さを教えてくれていると思います。与えてくれるはずの誰かという存在は、本当には、自分に足りない自分自身の可能性という存在、ってことと関係しているのであろうから。
そしてまずはまずは、どんな自分を発見しはじめても、否定しないことです。感情としては耐えられず否定したいということもあるでしょうが、その感情を感じつつ、取り組みとして進めていこうとする自分を立て続けようとしていくことです。とうとう来た!やりたい放題やっていい時代が来た!っていうわけではありません。(笑) なのでそのまま走ると何かにぶつかって止まるということを体験するでしょう。いけないのではなくて、間違ってるからしてはいけない、あるいはそう言って止められた、というのではなくて、体験しながらひとつ何かに気が付き、また何かを変えたり調整したりしつつ進んでいくことの連続で、自分の人生を作っていくということです。決して誰かに貰ったり奪ったりするものでは無いってことを実感していけるといいねと。
これらのお話は地球の、特有のいくつか、なのだなと。

2018.06.23 Sat l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
後ろにまわしている自分自身のもうひとつの感情が何かを実際にこの現実の中でやらかしてくれた時に、今の自分の側の「私」にそんなことを思ったとか意思したという記憶など無い、思い出せないっていうことは普通です。大きく割れているほど大きく動き出すものがあるということになるでしょう。同席していた、現場を見ていた目撃者がいた時に発見される、報告を受けるということになる場合はあります。例えば、うっかり他者にぶつかってその人が持っていたソフトクリームを落としそうになってアブナイってなった時に、口では慌ててごめんなさいって言っていたのに「顔が笑ってたよ、なんで?」って一緒に居た人に言われて、全くそんな記憶が無いのに…とか、っていう話しはよくある話のひとつです。
私たちの言動って全部なんて覚えていないんです。全部が意識的に出せているもの、でもないんです。本当に考えていることが感じていることがいつかどこかで知らないままに大なり小なりあふれ出ている…ということがあるのは、珍しいことではありません。
日常、考えてもいないところに自分の意識というものは存在しているんだなってこととか、ほんの少し考えるきっかけを持ち始めようとすることから始まっていくこともあります。自分という存在に自分が詳しくなっていく過程。

2018.06.17 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
「熱っ!」 っていうくらいのお茶を頂きつつ、様々をまとめる少しの時間。

tea

切り替えというのも必要ですよね。場面を変えることで、視界に入ってくる情報も変わります。聞こえてくる音や話も変わります。どのようなエネルギーの場で過ごすかということも関係あります。良い悪いということでは無く、無自覚なままどこにでもいる考えない私という存在から、少しでも場に存在することを考えようとしている私、に向かって歩き出すということをトライすると、新しい気づきが日常にたくさん出現します。

2018.01.17 Wed l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
呼吸法とか瞑想など、毎日そう長くない時間をかけて練習できることを実行すること。さらにそれは毎日継続的に実践すること、と自分で決めて実行すること。自分を変えてやる必要がある場合には、感情に振り回されている日常から離れ始めることが大切です。
例えば、気分次第で日常を過ごしていると、結果的にただ時間が経過してしまっているものです。それは「目的意識」の設定をしていないからです。ほんの小さなことから、目的や目標を決めて実行し、そして達成するという経験を増やしていくといいです。あと、目標や目的は同じサイズのままでは、これまた前進しなくなります。達成するたびにサイズを大きくしたり、かける時間がよりかかるものにしていくということを意識しながら進んでいきましょう。
やがて、継続ということ、積み重ねるということへ抵抗する自分の心が変わっていくでしょう。

2017.09.30 Sat l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
昨日は、おはぎを買いました。時間にすると少しですが、レベルに入って存在たちに話しかけていました。ひとつのお彼岸の過ごし方です。「存在たち」とは、縁のある存在たちのことです。それは、もと地球製の身体があった方もいるでしょうし、もともとからそうじゃない方もいるでしょう、という方々です。
そしてまた日常に戻り、あらためて地上生活の部分にフォーカスします。ひとつずつをこの身体を通して体験していきます。

2017.09.24 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
例えば自分に厳しい人、自分に過酷さを求めてしまっている人は、本人に自覚無いままに他者に同じことを求めたり押しつけようとしていたりするものです。自分が信じている世界観なわけなので、それが外にあるのがあたり前だと信じ込んでいるので、他の世界観を実感していないからそれは無いに等しいという現象です。これは自分が知っているということと知らないということとの間で起きる世界の違いです。私たちは無自覚に自分が信じてしまっているものこそが普通なのだと、他者や環境と共通項だと、そう思ってしまうようです。
本当にそうだよな、と、度々思います。
自分以外の信念体系との出会いは時々に衝撃的ではありますが、ひとつ出会って受け入れそれを知るたびに、自分の小さな宇宙が少し大きくなって変わってゆくのを感じます。

2017.09.18 Mon l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
漠然となんでだろう、どうしてだろうってただ思うという日々に、明確な答えが出る日はなかなかにやってこないでしょう。
明確な具体的な「問い」が必要なのです。その問いは、他者の真似から出たものや何かからのコピペじゃなくて、自分から自分へ生まれた問いであることが重要です。
探し物の旅の準備に必要な材料は、本当には今ここに揃っている、でしょう。ただ今は、見えていないだけ。無いと思えるだけ。まだ発見していないのが現在であるなら、この本当にはあるという現実を知ることからが始まりかもしれません。「嘘でしょ、どこにあるっていうのよ、見えないよ、どこにも…」という思いが起きるなら、それは大切な経験です。そこにこそ自分の感情が溢れているでしょう。経験は実感で、自分にとっての本当のことです。どこかにある正しいはずの答えを手に入れることこそが重要だ、という思い込みを手離そうとし始めるといい時、そのタイミングなのかもしれませんね。
さて、そこに在るのは、落胆でしょうか絶望でしょうか。それがあなたのリアルな感情です。

2017.09.17 Sun l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
ご質問を頂いているので、少し書きます。
まずは私という存在が経験によって様々を信じ込み特有の世界観の中に生きている存在であるだろうということを仮定し、そういう捉え方に徐々に慣れていきましょう。私たちは信じ込んでいるものがある故に、何かの出来事に対する反応や想像が、過去の自分の経験に由来するものからの過剰反応の場合があります。行き過ぎた場合には、時に被害妄想的なところにまでいってしまったり。
これらは過去の体験による傷のケアが必要な状態です。信じてしまっているパターンも、より知っていく中で解除したり書き換えたりすることが可能です。
複数の人で何らかの同じ場面にいたとしても、他者から見た時の現実と自分から見ている現実が違う風景であったり、それぞれが全く違う印象や意味を持っていたりすることも普通に日々起きているよ、ということを受け入れていくことになります。ひとりずつが信じ込んでいる世界観や体験、過去の傷などがあるからです。それを知らず持ち寄って出会っているのが私たちです。怒りや悲しみでひどく感情的になってしまう時がある時、それは例えば自分の立場になって寄り添うように自分のことを理解してくれる状況やそんな心の人を強く求めている、あるいは強く要求している、のかもしれません。そんな自分にも少しずつ気が付いていくために、時に振り返って自分の言動に気持ちを向けましょう。
自分のことではあるけれど、ああ、無自覚なままの自分がどんなにたくさんあることか!
自分との出会いのひとつずつを受け入れていくほどに、気付かぬうちにほどけて、そしてやがて変容していくものがあるでしょう。

2017.09.13 Wed l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲
Fさんから、日常の中にある「〇〇ねばならない」というのを発見しました!との報告が入りました。思わぬところで、しなければ!と思い込んで行動していた自分を見つけたのだそうです。それでよく自分の感情を確認したら、これはもう必要無いな、と思えたのだそうで。その「ねばならない」を手離したそうです。それは一つの整理整頓ですね。
次はお金に関係する「ねばならない」を自分の言動から発見していく取り組みに向かうのだそうです。
例えば、日常の中で信じ込んでしまって頑なに行動していることというのが、私たちにはたくさんあります。普段は無自覚。何か問題が起きた時などに、繰り返すそれにどことなく気が付かされつつも、変えるというところにまで踏み込むことはせずに、影響を受け振り回される方を体験し続けていたりします。人生の中で同じ場面を何回となく体験するということが起きたりします。
お金というエネルギーについて自分が無自覚に信じ込んでしまっているものをたくさん発見しましょう。自分と違うであろう人を観察することも役に立つでしょう。例えば、私はお金が好きって笑顔で言う人が居たとして。それはなぜならエネルギーであり、交流であり循環だから、って嬉しそうに語っている人がいたなら、自分はどう感じるでしょうか? 共感する、あるいは、???となる、あるいは、反発してしまう、などなど様々あると思います。お金と自分ということについて考察するチャンスでしょう。

2017.08.01 Tue l 自分との出会い l COM(0) TB(0) l top ▲